ページ、中程の「宮古島の闘いの歩み20年を語るにあたって」について、ほか、琉球弧の軍事基地化に反対するネットワーク宮古島さんより無断で拝借させていただいてます。

琉球弧の軍事基地化に反対するネットワーク
http://ryukyuheiwa.blog.fc2.com


下方に清水早子(ピースアクション宮古島)さんの記事貼らせていただきました。


沖縄本島から宮古海峡を経て南西に約290 km。

面積は158.87 km²、近隣には、池間島、大神島、伊良部島、下地島、来間島などがある。
宮古・ミヤク。

多数の御嶽 (ウタキ) という沖縄独特の聖地があり、島全体が天然の地下ダムの上にある。

人口、52,030人 (2010年現在)。
沖縄県宮古列島に位置する市で、2005年10月1日、平良市と宮古郡伊良部町・上野村・城辺町・下地町の5市町村が合併。

市長は下地敏彦・自由民主党・公明党の推薦。
[ 海外の姉妹都市 ]
アメリカ合衆国・ハワイ州マウイ郡:1965年6月24日 姉妹都市締結(旧平良市と)

中華民国(台湾)・基隆市:2007年6月28日 姉妹都市締結(宮古島市)

「自衛隊・ミサイル部隊の配備」
宮古島に陸上自衛隊・警備部隊(最小800人)が予定され、ミサイル部隊のほかレーダーサイトと、その下に地下施設の建設が進められている。
先島(与那国島・石垣島・宮古島)への自衛隊配備の中で「指揮所」にされようとしている。
予定地は宮古市民の命の水である地下ダムの水源地でもあり、地下水保護地域である福山地区・大福牧場周辺と、千代田カントリークラブ(千代田CC)。
宮古島は島じゅうが、天然地下ダムであり何処に建設しても重金属汚染などの危険がる。
また、場所によっては陥没の可能性もあるとか。


5月7日(2016年現在)、宮古島市における地下水審議会非公開問題と、防衛省が福山地区・大福牧場への協議取り下げしていた事を、宮古島の下地敏彦市長が非公開にしていた事が問題となっている。


宮古島の地図。


南西諸島広域地図での位置関係。


宮古島への配備予定地図。


島中央付近、野原に建設が進むレーダーサイト。
(建設業者に地下工事を専門とする北海道の業者がきているそうで、地下施設の建設も考えられます)


防衛省の陸上幕僚監部が作成したとみられる「取扱厳重注意」と書かれた「文書」の一部(5分)­を紹介します。


昨年(2015年)5月、防衛副大臣が宮古島を訪れ、自衛隊配備への協力を求める前の­昨年3月にあった沖縄地方協力本部幹部と下地敏彦市長との面談の記録の一部です。
「文書」は「下地市長が大福牧場と千代田カントリークラブの用地買収を強く求めている­」とあります。
防衛副大臣が宮古島を訪れるより前に自衛隊配備の話はついていたと考え­られます。

以下、文書の抜粋。
「千代田CCに係る調整状況」の見出しに続き、「千代田に係る宮古島市長の発言」とあ­り、「沖防局企画部長等との懇談に係る発言(27年3月13日)」の中身が紹介されて­います。
 沖防局企画部長、沖縄地本長と下地市長による懇談において、市長より「千代田CCを全­て取得してほしい。使用方法は防衛省に任せる」と発言。

「文書」は「今後の対応」として「宮古島市長は自衛隊配備に関し賛成の立場であり、配備に向けた環境醸成(市議会での自­衛隊配備に係る議案議決等)についても協力的」「大福牧場及び千代田CCの取得を強く要望(条件)してきており、千代田CCの使用方法­については、防衛省の専管事項として委任されたことを受け、部隊運用者(陸幕)として­の取得の必要性について関係部等との連携を図り、活用法について今後案出」

「文書」から下地市長が大福牧場、千代田CCの防衛省による買い取りを自衛隊配備の条­件としていることがうかがえます。

2016年 4月、初めて宮古島に行き到着した直後、レンタカーで偶然最初に通りかかった場所に見えた大福牧場。
そして、案内してもらった千代田CCと野原(のばる)のレーダーサイトと、隣接する窓なしの巨大ビル?、2棟。
写真、順番グチャグチャですみません。


宮古島が指揮所になるという矛盾 - 1

宮古島ミサイル基地配備 まとめ1  3分14秒 伊波洋一 <宮古島映像PR>

短い"まとめ"は3まであります。
同チャンネルにフルバージョンもありますので、是非どうぞ。

 


宮古島が指揮所になるという矛盾 - 2

三分間の動画 自衛隊配備で宮古島はどうなる? 三上 智恵映画監督 <宮古島映像PR> What Miyakojima made of a Self-Defense Forces deployment?

 


宮古のお母さんたち

宮古島が自衛隊の要塞の島になる。自衛隊の島への配備に危機感を持った宮古島の子育て­世代のお母さんたちが「てぃだぬふぁ 島の子の平和な未来をつくる会」を立ち上げた。メンバーの一人が先週第三子を出産。こ­の子たちの未来を守れるのは自分たちしかいないと奮闘する。


小多基実夫さん(元自衛官) 南西諸島自衛隊配備について語る 
沖縄・奄美・宮古島・石垣島・与那国島に自衛隊基地配備

宮古島陸上自衛隊ミサイル基地配備関連動画
https://goo.gl/7b8YI1

軍隊って何だ? 自衛隊って、どんなところ?
映画「ONE SHOT ONE KILL」上映&トークの集い

1月16日(土)午後2時~4時30分
郡農協JAホール

★長編ドキュメンタリー映画
「ONE SHOT ONE KILL」
予告編 https://youtu.be/rccA5sfrCh4

international version
(2011年/森の映画社/68分)
海兵隊員たちは、どのような訓練を経て沖縄へやってくるのか、自衛隊は誰と一緒に戦争­をしようとしているのか。米海兵隊のブートキャンプ(新兵訓練所)の12週間に密着し­た問題作。
上映後、藤本幸久監督と影山あさ子プロデューサーの解説・トークあり。

★ゲスト・トーク
小多基実夫さん(元自衛官) 
沖縄・奄美、南西諸島自衛隊配備について語る

1950年 滋賀県生まれ、65歳。
1970年 航空自衛隊入隊、
1971年、第2高射群(地対空ミサイル部隊 
福岡県芦屋基地)配属。
1972年、沖縄返還に伴う自衛隊の沖縄派兵に抗議し、
陸自の4人の自衛官とともに防衛庁長官に
「派兵の即時中止等10項目の要求」を提出、
沖縄反戦デーの集会に参加。
自衛隊法違反に問われ、懲戒免職処分。
「処分取り消し=原隊復帰」を求めて提訴
(2001年に最高裁で敗訴)。
以後、現在まで、自衛官の人権確立を目指し活動中。


海上自衛隊幹部学校「オフショアコントロール戦略について」

「オフショア・コントロールが答えである(Offshore Control is the Answer)」の紹介
Colonel T. X. Hammes, U.S. Marine Corps (Retired)

(Proceedings, Vol. 138/12/1,318, December 2012.)
<http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/topics-column/col-046.html>

 


オフショアコントロール戦略、オフショアコントロールという論文を提唱したトマス・ハメス(Thomas X. Hammes)とは、こういう人。
米海兵隊の元大佐で、現在はアメリカの国防大学にあるシンクタンクに所属。
二〇〇七年に、当時のブッシュ政権のドナルド・ラムズフェルド国防省長官のやりかたに不満を唱え、
議会に直訴した末に軍を辞めた。
軍人だけでなく理論家としても知られ、彼の出版した「Sling and Stones」という本は、世界中の戦略研究の関係者でも話題になった。
海上自衛隊幹部学校のコラムより少し見やすいかもしれないブログ。
「日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信バックナンバー」
<http://www.realist.jp/america/20120524.html>

Testimony of Col. Thomas Hammes before the DPC


「消えた自衛隊誘致」 今から11年前の2005年3月、宮古島・伊良部島の島民が決起。
町議会の「自衛隊誘致」決議を覆した 。

今から11年前の2005年3月、宮古島・伊良部島の島民が決起。

 


2016年4月、撮影した下地島空港。
テロ対策警備中ですが、許可なく自由に入れました。

それと、伊良部大橋 (形状が・・)。


その他の宮古島情報、取り急ぎ「琉球弧の軍事基地化に反対するネットワーク」さんのリンクをどうぞ。

http://ryukyuheiwa.blog.fc2.com/blog-entry-12.html

宮古島の闘いの歩み20年を語るにあたって
宮古島の軍事化に抗する運動 清水早子(ピースアクション宮古島) 

1 宮古島ってどんなところ?

北緯24度50分・東経125度10分 大阪から1500~1600km
那覇から300km 沖縄島と石垣島の中間 人口55000人 
宮古島諸島…伊良部島(下地島)・池間島・来間島・大神島・多良間島・水納島
産業は農業(サトウキビ、タバコ、マンゴー)・畜産・漁業・観光
  
歴史については
1609年薩摩藩の琉球侵略以降、悪名高い人頭税(1600年代半ば~1902年)
廃藩置県の後まで、廃止と同時に徴兵制 日露戦争1904(満州へ出兵、多くが死亡)
1879年当時の前米国大統領グラントの仲介で明治政府は、宮古・八重山を清国領と
する分島案=琉球条約が妥結 調印されず1881年に流れた
日清戦争、清の敗北後、琉球条約が消えるまでの間には、琉球の清国派の「清への復帰運動」があった
  
太平洋戦争中 3万人の陸海軍  島内に「慰安所」(現在判明17箇所)
 
1945.9.7先島群島日本軍司令官納見敏郎 降伏文書に調印し沖縄戦は公式に終了 12.13に宮古で自決
  
上野村野原岳に日本軍司令部→米軍レーダー基地→空自通信基地

2 下地島空港軍事利用に反対する運動約40年  1968~2005

下地島空港って?
3000mの滑走路 双方向からの離発着 成田空港以上の航空管制機能 

1968  計画
1969  村議会で誘致を決議 復帰運動と相まって反対運動激化 殺人事件に至るほど島民を二分
1971  屋良主席と運輸大臣間で「覚書」「琉球政府に所有管理・民間航空訓練場」 
1973  非公共用として建設→後に管制業務や気象業務で圧力
1979  公共用(県管理の第3種空港)
1986~92  米軍機飛来
1995  沖縄島米兵による少女暴行事件  (宮古に移住) 
2001  伊良部町議会の訓練誘致 米国シンクタンクランド研究所提言 米軍機飛来
2004  宮古郡民大会2000名

2005  「伊良部の動乱」…直接民主主義の勝利!
3.16 誘致の緊急動議9:8
3.22  町議2名と民間研究機関日本戦略フォーラム(小幡光俊・長野俊郎)が同行し、当時の防衛庁へ要請   
3.23  3,4時間で島の人口6500の過半数 直接団交18名の全町議

3 自衛隊新部隊配備計画 日米安保の変質  2005~2015 (別紙年表)

2015.10.20改訂   
日米安保体制の変節と宮古島の軍事化の対照

宮古での反戦運動の振り返り(2000年~2010年)

年表:宮古島における反軍反基地の闘い

南西諸島自衛隊基地化に抗する宮古島市民 
清水早子(宮古平和運動連絡協議会)

日米安保体 制のもとでの自衛隊の軍備計画である中期防衛力整備計画が、米国の新世界戦略の北東アジア重視に呼応して、この間、中国牽制のため南西諸島・島嶼防衛対応 へとシフトして進められてきましたが、安倍第2次政権はさらに加速させています。中期防を廃止し、さらなる軍事強化を図ろうとしています。
 
国政の場でも、「原発再稼働・原子力村の復活」「TPP参加」「武器輸出三原則の緩和」「教科書検定の見直し」から「憲法改悪・国防軍創設」へと戦争前夜の社会の形成へとひた走っています。
 
日米軍の一体化が進み、自衛隊が米軍の肩代わりをし、日本社会をアメリカ型社会に変え、軍事・政治・経済あらゆる領域で、対米従属が進行していることや、安倍の野望である戦争できる「軍事国家」への道筋が敷かれていることを、この沖縄の地で私はひしひしと実感しています。
 
昨年、2012年には3月と12月の2回、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のロケット打ち上げに対応することを理由に、PAC3(地対空誘導弾パトリオット)が宮古島へ上陸しました。

MD(ミサイル防衛)システムのために6兆円、PAC3配備のために1兆円とも言われる税金が投入され、2013年度防衛関連費は11年ぶりに増加し、約4兆7000億円となりました。自衛隊を実に20年ぶりに22万8000人に増員する費用も考慮されています。

莫 大な税金が投入され、作られ演出された尖閣や朝鮮半島の「危機」から「国民の生命と安全」を守るために、南西諸島に自衛隊基地を新設・強化し、レーダーを 増強し、武装した戦闘部隊を配備するのだと言っていますが、その「国民」には、私たち沖縄県民、離島の島民たちは入っていないでしょう。

射程距離が20キロしかなく、命中精度の低いPAC3が発射されれば、その方が危険であると私たちは考えています。2回のPAC3配備は、実効性よりも「軍事訓練」であることがはっきりしていました。

昨年3月には、私たちは約1ヶ月間の「PAC3配備への抗議行動」を展開しました。さすがに防衛省は、日暮れ後の闇に紛れて、ミサイルに迷彩色のカバーを掛けて上陸させたものでしたが、
11月の衆議院選挙自民勝利後の12月には、白昼堂々、ミサイルへのカバーもなくPAC3は宮古島へ上陸して来ました。

3月には、軍服の自衛隊員が居座る市役所に直接、「市役所は防衛省の出先機関か!」と抗議に行きました。右傾化の社会状況に加勢され、2度目ともなると悪びれもせず、軍服で市内を歩く様を見ました。

抗 する私たちは、仲間の死や病気や家族の介護など困難な環境にありましたが、年明けて1月中旬、宮古圏域にある「下地島空港に航空自衛隊のF15戦闘機を常 駐を検討」というニュースに再び、立ち上がることを決めました。およそ1ヶ月しかない短い時間の中で、猛烈な準備を敢行しました。宮古島だけではなく、同 様の配備計画の下に置かれている石垣島、与那国島との連携を求めて島外にも、また県外へも呼びかけ、若い皆さんのデザインやアイデアによるチラシ作り、集 会内容の討議、労働者団体にも共闘を求め、「2・24かな愛すみゃーく宮古市民ピースアクション」を開催しました。
 
参加者は、沖縄辺野 古から、石垣、与那国から、県外は大阪、京都、神奈川、東京からも駆けつけてくださって、150名の参加で盛会となりました。地元市民によるコンサート& 手作り物品販売、リレートーク、平和アピール行進と盛りだくさんのイベントで、各々「島の軍事化に抗する思い」を表現しました。

コンサートでは、三線による宮古民謡から、ブラジル人女性歌手によるサンバや、和製ラップの元祖とも言える江戸時代民衆の世直しのリズム「ええじゃないか」の宮古版替え歌も登場、

「ええじゃないか♪宮古島、基地にしないでええじゃないか♪」とノリノリで手拍子も湧きました。若いママさんたちが手作りの物品販売し、あるいは舞台で歌ったり踊ったりする周りを、小さな子ども達が駆け回りました。

リ レートークでは、辺野古で反基地を闘うおばぁや、与那国で自衛隊配備に反対して闘う「イソバの会」のメンバーや、石垣からも「住民の視点で教科書を選ぶ 会・9条の会・島の未来を考える島民会議有志など」からメッセージを携えた参加者が、また全国各地からの参加者が、地元からは高校生代表からも、高齢の戦 争体験者からも、子育て中のママさんからも、たくさんの「島の平和の危機を憂う発言とメッセージ」が語られました。

最後に、「…『沈黙は 承認のしるし』ということわざがあります。黙っていたら基地に賛成だということになってしまいます。今こそ、私たちは島の平和な暮らしと子どもたちの命を 守るために戦争は起こさないと声を上げましょう!歌ってもいい、踊ってもいい、叫んでもいい、静かに歩いてもいい、みんなで平和な暮らしを壊さないで。と 表現しましょう!」と集会アピールの採択後、150名で市役所前まで市内をデモ行進し、市民にアピールしました。

米軍基地への闘いの連携 は各地に生まれていますが、自衛隊基地への闘いは沖縄県内でも腰の引けているところがあります。今年3月24日には日米軍共催による横田基地運用開始が着 手、米空軍と航空自衛隊の一体化はすでに始まっています。京都丹後市の空自分屯基地には米軍の高性能レーダーが、青森県つがる市の空自基地に続いて2基目 が置かれることになりました。

宮古の空自分屯基地のレーダーも増強するための予算も付けられました。宮古の下地島空港にもレーダーを新設 するとか、無人偵察機グローバルホークを置くという情報も流れました。中期防でも宮古・石垣に陸自「警備部隊」を配備するとなっています。自衛隊新基地の 建設はそのまま、米軍の共同使用を意味しています。私たち宮古平和運動連絡協議会は、すべての基地化・軍事化に反対しています。

今回の「2・24愛(かな)す宮古(みゃーく)市民ピースアクション」の大きな意義と成果は、琉球弧の島々が自衛隊基地に反対して一堂に介し、手を繋いで1歩踏み出したことにあります。

南西諸島が次なる戦争の犠牲になるのだと状況は示しています。宮古島や与那国島がどこにあるかも知らない日本の多くの国民の無関心を背景に、南方の小さな島々が打ち棄てられようとしているのです。

4・ 28が近づいています。1952年発効したサンフランシスコ講話条約で打ち棄てられ、1972年まで米軍施政下にあった沖縄。その日を日本の「主権回復の 日」として祝おうという日本政府のあからさまな圧政に抗して、宮古でも「『主権の日=沖縄屈辱の日』に抗して考える集い」を中央公民館・講座室にて行いま す。日本の津々浦々でも連帯の行動に立ち上がることを願って!

2013.4.12 記