沖縄タイムス 3月24日2016年
「抑止力」の効果に疑問
沖縄戦の被害・惨劇が示す

論壇

与那覇 恵子
私は基地があり自衛隊が配備されるからこそ戦争被害の危険は増すと考えるが、それに対し軍備(基地)は戦争抑止力としての立場で「抑止力は必要」との反対意見がある。
具体例、琉球王国は軍備がなかったから薩摩に制圧された、基地攻撃よりは後方攻撃が戦果大、フィリピンは中国の脅威に援軍を呼び戻した等は説得力がある。
しかし、琉球には軍備があれば戦いは長期化、拡大し双方の兵士のみならず一般人を含め何倍もの人命が失われたことは確かだ。
より甚大な被害の結果、結局、制圧された可能性は高い。
「戦世も終わてみるく世もやがて、嘆くなよ臣下、命ど宝」と詠んだ琉球王国の民を思う心根は深く、欲深く権力拡大を狙った秀吉より君主として数段勝る。
米軍は基地を攻撃しなかったわけでなく基地を含めて後方攻撃もした。
フィリピンはなぜ米軍基地を撤去したか? 基地の利より被害が勝ったからで、中国脅威への米軍基地の抑止力は安保が日本を守るかどうかと同様、不透明だ。
脅威は仮想敵国に対して抱くもので、あくまでそれは仮想だ。
かつて日本にとってそれは米国の仮想敵国ソ連であったが、ゴルゴバチョフが米国の敵であることをやめる宣言をした後それに脅威論は消え、中国が国力を増し米国内脅威とみなすようになると、日本では安倍政権後、中国脅威論が高まってきた。
「思考は現実化する」という。
戦争に備える軍備は戦争前提であり、外交軽視する脅威論は戦争につながる。
最強軍事力保持の米国やソ連に戦争が絶えない歴史は軍備が戦争抑止となりえず、人が起こす戦争を抑止するのは人の思考でしかない事実を示す。
抑止論は軍拡競走により世界の不安定化を生み出した。
防衛には敵の武器への攻撃は必須、基地や自衛隊が攻撃されるのは自明だ。
防衛と思い木造の大砲を置いた村は徹底して攻撃され、軍が守ると南部に避難した住民ほど犠牲は大きかった。
日本軍は食糧を奪い、避難壕から追い出し集団自決を促した。
「軍隊は住民を守らない」は沖縄戦が残す教訓だ。
根本的に米軍基地は米国防衛の目的で日本や沖縄を守る義務はない。
日本、沖縄の基地は、遠くに犠牲を限定し自国の安全を図る防衛論からだ。
米国などの強国が代理戦争好んできた歴史も考慮すべきで、現に米国の日中戦争利用の戦略が漏れ聞こえる。日本も遠い沖縄に自衛隊を配備、実践済みの「捨て石作戦」で沖縄には自己犠牲で本土防衛をとの考えだ。軍備(基地)の戦争抑止は実証されておらず、防衛の地の危険と犠牲は悲しくも沖縄が体験、実証済みだ。
(那覇市、英語教師、62歳)